魚人句集  ばらもん 牛草正二



                                    うさお

 義叔父が「魚人」と称して俳句を多く詠じていました。父の妹(叔母)の連れ合いです。風貌は大島渚を優しくした感じです。
 聞いたことをすぐに忘れるうさおは、総てうろ憶えにしか覚えていませんので、当てになりませんが義叔父の経歴は多分こうです。

 東京大学法学部を卒業後、主計士官として戦争に取られ、多分、南支か満州の戦地に赴くも、終戦後はシベリアに抑留されました。戦後、引揚者として帰還、その後、労働省に勤務し、叔母と結婚。結婚を機に近くの横浜市役所に勤務代えをしました。

 シベリア抑留は過酷だったそうで、戦友が寒さと飢えで多く亡くなったようです。手先の器用な義叔父は彫刻刀で麻雀牌を彫り、抑留者たちとつかの間の息抜きをしたらしい。手彫りの麻雀牌を見せてもらったことがあります。貰っておけばよかったなあ。
 戦争とか、抑留された事とが要因になったかは不明ですが、義叔父はインド仏教に心酔します。蔵書や置物はそれに因んだものが多かったと憶えています。
 なにせ麻雀が好きだったと見えて、役所から帰ってくると、近所の若者を集めて遅くまで遊んでいたようです。うさお達も定期的に叔母の所に麻雀をしに行きました。麻雀に勝つとご褒美が貰えました。

 義叔父の初めての句集「どりあん」は、ガリ版刷りのものでした。当時は結構なお金を出せば活版刷りになりますが、一般的な印刷物は学校や中小企業では、ガリ版刷りが主流でした。句集「ばらもん」はそれから十五年も後のもの、写真製版による謄写版印刷が主流になります。だからこの句集は手書きのものです。

 義叔父の句には、所々に仏教の思想が入ってきます。それらが少し難解です。ということで、難解な句は、うさおが思いっきり偏った解釈をしてみます。なにしろ、章立ての絵が可愛いです。

魚人句集

ばらもん

 次の様な章立ての構成になっています。

第一章 雅
第二章 頌
第三章 風

第一章 雅(大和美し)

 多分、この章の意味はこうです。は、洗練された上品さや風流を意味します。仏教においては極楽浄土の優美さ、清らかな美を象徴する美的概念です。絵は金魚です。



ロープウェイ 奈落は伊賀の 花ざかり

春灯や こけし緋の色 緋の匂い

睡蓮の 放つ弓手や おのずから

 「睡蓮」は、仏教では蓮と共に蓮華と総称され、泥中(煩悩)にありながら清らかな花を咲かせる(悟り)の象徴だそうです。後の句の意味はあまりよく分かりませんが、仏典を下敷きにしているなら、柴燈護摩の仏教行事で射放弓の儀の中で空中に矢を射りますが、自身の穢れを祓い、残心(矢を放った後の姿勢・心)を通じて自己を律する、一種の修行や瞑想として捉えられています。チベット密教の女神(金剛ターラーなど)は、「睡蓮」と「弓」を両手に持っています。

どりあんを 舌の忘我の 触と味

サーフィンの 女は鞭の ごとく反る

如是我聞 風鈴無所得 無尽蔵

 「如是我聞」とは、仏教経典の「私はお釈迦様から聞きました」という意味の定型句です。
 「風鈴無所得」とは、仏教では「 風鈴」は、風が吹けば鳴り、止めば鳴り止むことから、風という外部の縁に従って自然に鳴る。これは、欲望や執着を捨て去った「無心」の姿を表すとされます。
 「無所得とは」とは、 仏教用語で、何かを得ようとする執着心がないこと。見返りを求めず、この瞬間の行いに集中する姿を指します。
 「無尽蔵」の「蔵」の字は、義叔父の字が達筆であり、実は読めなかったので何となく「蔵」の字を宛てました。無尽蔵は、仏教では無限の功徳や慈悲が蔵に満ちており、いくら取ってもなくならないことを意味します。そのことから仏の教えの深さや、仏教的な智慧・慈悲が無限であることを指します。


 一つの句でこれだけ解釈を必要とするので、長く楽しめますね。

月の出や 蛙は陀羅尼 たてまつる

 「陀羅尼」は、仏教においてサンスクリット語の呪文を意味し、悪を滅ぼして善を生み出す不思議な力(功徳)を持つとされています。月の出に蛙君は何を呪るのでしょう。

屋台骨 のこして祭 終りけり

菊風呂や 裸のままで 受話器とる

紅葉狩り 鹿のお辞儀に 囲まれて

コンパクト 開けば落つる 細雪(ささめゆき)


第二章 頌(百済懐し)

 多分、は、仏・菩薩の功徳や教えを称賛し、詩の韻文で述べた言葉や文章を意味します。絵は蛙かな。蛙が唱える「AUM」とは、仏教における「オーム(Om/Aum、ॐ)」で、インドの伝統的な聖音です。大乗仏教や金剛乗(密教)において神聖な真言(マントラ)の冒頭などに使われる音節です。



魚跳ねて 天秤星座 またたけり

ミロクまで 三里ポプラの 並木みち

雨施百済(うしくだら) 錦江寒う 流れゆく

 「雨施百済」は、百済から日本へ法(仏教)という恵みの雨がもたらされたこと、錦江は韓国二番目の大河のことと思われる。


第三章 風(異国楽し)

 は、仏教では人の心を揺り動かす八つの外的要因(八風:利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽)や、慈悲の心(至徳の風)を指し、執着せず動じない心を表わします。絵は蝶々です。



飾り象 よろけて登る 琥珀城

陽炎や 二天抱擁 踊るかに

春愁や 歩道喫茶の 灯りたる


句集「どりあん」拾遺五句

蜜豆や 男の意図に 乗ってゐし

パチンコの バネぐわんぐわんと 夕立きぬ

行水の 浮気な女体 とも見えず

行水は 溢れよ生活(たつき) 細くとも

メス光る とき鬼灯の 力充つ


あとがき

○句集「ばらもん」は、昭和四十四年の夏から四十八年の秋にいたる約五年間の作品をまとめたものである。
 昭和二十九年第一句集「どりあん」を発刊して以来十五年及、俳句からは手を引いていたが、級友橋本彦一氏からの手紙がきっかけとなって再び俳句づくりはじめ、僅かではあるが、第二句集としてまとめることができた。しかし、印刷の手配が意にまかせず、 荏苒
として日を送っていたところ、小学校の先輩・林淳一さんとの奇遇で問題は一挙に解決。「ばらもん」は今やっと陽の目をみようとしているのだ。ここに感謝の意を表する。

○十三年半にわたって我が家を楽しくしてくれた忠犬タントラ号※が「ばらもん」の完成をみとどけて、眠るように最后の息をひきとった。タントラなきあとは、毎日の食事も妻と私の二人きりになって何となくさびしく、タントラの思い出話は尽くるところしらない。

春灯下 一門われと 妻と犬

 二階の廊下のじゅうたんは、いつも犬の抜毛がいっぱいくっついていたのだが。私の入院中、タントラは毎日このじゅうたんにひとり座ったまま、主なき部屋の気配をうかがっていたという。

絨毯に 犬の毛のなく なりにけり

 タントラ供養のために、右に二句を「ばらもん」に追加したい。

荏苒(じんぜん):なすことのないまま歳月が過ぎるさま。また、物事が延び延びになるさま。
タントラ:密教聖典の通称、現世での即身成仏を目指す大乗仏教の修行体系。

奥付き

句集ばらもん
昭和四十九年十二月発行
編集 牛草正二
印刷 林淳一